ジョジョに気になるフンガミブログ

気になることを色々と書いています。

アメリカのヒップホップも良いけど日本語ラップをもっと聴け

日本語ラップが好きだ

ぼくは日本とアメリカのヒップホップの曲を両方ともよく聴くんですが、特に日本語ラップが好きです。

「日本のヒップホップ」ではなく「日本語ラップ」とあえて書いたのは、ぼくが曲よりもラップという歌唱法、歌詞に、より面白みを見出しているからです。

 

もちろんヒップホップのリズム、ビート自体も好きだし、それが理由で好きな曲もたくさんあります。

ただやはり歌詞なんですよね僕の中での最優先は。

 

英語の曲も良いですが、僕の英語力では英語のラップは聴き取れません。

和訳を見れば、何をラップしてるかは理解できます。

ただやはり細かいニュアンスや、ラップの面白さまでは汲み取れません。

仮にぼくが英語ペラペラになったら、今よりもっと英語のラップを聴くかもしれません。

ただそれでも日本語ラップの面白さは変わりません。

今と同じように日本語ラップも聴き続けるでしょう。

 

韻を踏むというルール

これがあることによってラップというものを圧倒的に面白くしていますよね。

韻をほとんど踏まないラッパー、曲もありますが、根底にこのルールがあるからこそ、あえてそこからはみ出して新たな形態を模索したりするわけです。

 

曲を聴いていて韻がビシバシ決まるとすごく心地いいんです。

来た来たーという感じ。

韻と韻がパズルのように組み合わさっていくのが最高です。

 

日本語の特性上韻を踏もうとするとどうしても体言止めが増えてしまう。

韻を踏みたいがために普段使わない言葉や言い回しを選択していく。

そんな強引さが歌詞におかしみを生みます。

韻を踏むというルールが存在しなかったなら使われなかったかもしれない単語や文章がちりばめられているのです。

 

圧倒的な歌詞の情報量

日本語は平仮名のひとつひとつが子音と母音の組み合わせで出来ているため、基本的に一つの音符に一つの平仮名を乗せて歌うことになります。

そのため、日本の音楽は1曲の歌詞の量が必然的に少なくなってしまいます。

その弱点を補えるのがラップなんです。

 

ビートの上に自分の好きな歌い方で、好きなように歌詞を乗せることができる。

その他のジャンルの曲より圧倒的に歌詞の情報量が多くなります。

それが表現の幅を広げています。

 

日本語ラップは芸術だ

日本語ラップというジャンルが確立されて20年以上。

もはやラップは芸術の域に達しています。

ラッパーは今やれっきとした詩人です。

1曲1曲にラッパーそれぞれの色が出ます。

声、言葉、表現方法。

日本語ラップの可能性は無限大なのです。