ジョジョに気になるフンガミブログ

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「日本に住んだ3年半は幸せで素晴らしかった」 フッキが川崎、札幌、ヴェルディでの思い出を語る

5月12日のデイリーサッカーニュースfoot!(フット)で放送されていたフッキのインタビューの内容をまとめてみました。

 

フッキについて

かつてJリーグに所属し、その後ヨーロッパへ移籍。

ブラジル代表としてワールドカップにも出場。

現在は中国の上海上港に所属。

登録名のフッキ(HULK)は彼が少年時代に愛読したアメリカンコミック超人ハルクより。

ニックネームを付けたのは母親。

奥さんは姉さん女房で、日本で出会った。

当時奥さんは日本滞在が長く日本語もペラペラで、色々とフッキをサポートしているうちに愛が芽生えた。

 

 

中国への移籍は大きな決断だったと思うけど最大の動機は何だった?

 

2008年から8年間ヨーロッパにいたから決断するのには少し時間がかかったよね。

中国からオファーを受けたのは初めての事じゃなかった。

何年か前にも中国サッカーは僕を呼ぼうとしていた。

そして昨年オファーを受けたときに家族と話して機は熟したかなと。

中国サッカーは年々成長しているし投資の額もすごく高い。

ぼくが受けたオファーも断りようのないレベルの金額だった。

中国は1年ごとに成長を遂げレベルが上がっているからというのもある。

今年もさらに何人かのビッグネームと契約した。

中国サッカーにとってすごく重要なことだよ。

 

あなたの人生はいつも挑戦だよね。

日本、ポルトガル、ロシア、中国、全く違う国ばかりだけど適応する秘訣は?

 

何よりもまず乗り越えようとする気持ちだよね。

君が言う通り簡単ではなかった。

目の前にはたくさんのハードルがあったけど僕の人生は子どものころからいつもそうだったんだ。

日々学んだおかげでここまで来られたしぼくの歴史を築くことが出来た。

日本、ポルトガル、ロシア、そして今は中国で4年間の契約にサインしたんだ。

少なくともその4年間は居たいしぼくの歴史を中国で築き続けたい。

ゼニトやポルト、日本で築いたような美しい歴史をね。

ここでタイトルを獲りたいし多くの友情も築きたいんだ。

 

中国サッカーのスタイルってある?

チームや監督によって違う?

それとももうスタイルが出来てる?

 

監督ごとに自分の考え方があるけど中国サッカーは年々成長している。

でも新たなレギュレーションによって監督には少し難しくなる。

試合には外国人選手が3人しか出場できなくなったから。

アジア人枠も外国人枠と別にあったのが同じ外国人としてみなされるようになった。

中国へ来る監督たちは自分の仕事の哲学を植え付けている。

ぼくらの場合ならヴィラス・ボアスは来たその日からもう彼の哲学をもたらした。

彼はボールをキープするのが好きで練習もいつでもハードだ。

それを彼らは急ピッチで会得する。

学ぶのが早いのが中国の選手の長所なんだ。

そしてそれを実行し日々成長していくのを見られる。

ぼくは半年前に中国に来たんだけどもうすごく大きな成長を見ている。

中国サッカーはもっと良くなっていくはずだよ。

 

日本でプレイした3つのクラブについて何か思い出はある?

 

ぼくは川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、東京ヴェルディと3つのクラブでプレイしたんだ。

最初川崎フロンターレのために日本に行ったんだけど出場した試合は少ない。

その後1年間の期限付きで札幌に行った。

J2だったけど僕らはすごく好調だった。

その後はヴェルディ。

ぼくにとっては日本での一番いい時期だった。

ラモスが監督で僕らはJ1に昇格した。

ぼくは得点王になって、しかも歴代記録を破る38ゴールを決めた。

ヴェルディのサポーターが歌ってくれたのを今でも覚えている。

フッキゴール フッキゴール フッキゴール フッキゴール ラ ボンバ!

日本に住んだ3年半は幸せで素晴らしかった。

人としてもすべてにおいてもすごく成長できた。

だから僕らはここにいても日本は僕らの心に住んでいる。

どうもありがとう。